奥行きの割りに狭い間口。出格子、石塀。これらは京町家の特徴です。間口が狭いのは、江戸時代の税制が間口の大きさに拠ったため、京町家で暮らす人々は間口を狭くして奥行きを持たせました。鰻の寝床とも言われています。
木戸を引き、一歩店内に足を踏み入れると、ここが別世界であると感じられるでしょう。江戸時代、文明開化の明治時代、レトロモダンな大正時代、いずれにしても、かつてあった麗しき時代を再現しています。
ここは元来、土間であり、この土間はこの幅のまま店の奥まで続いていました。
入り口から真ん中までは反物を見に来たお客さんが店の間と呼ばれた部屋の縁に腰掛けて、幾つも広げられた反物を見る場所でした。
奥には台所があり、またその付近には囲炉裏があり、2階へ続く階段もありました。この囲炉裏は今も畳の下に残っています。
西陣織の名称は550年前から。技術は紀元前5世紀に大陸から渡来した秦氏一族が養蚕と絹織物の技術を伝えたのが始まりとされています。
この1500年の間に培われた西陣織の技術は今や形を変え、ソファー生地にも使われるようになりました。
この部屋と隣の部屋を合わせた場所は、その昔、呉服商が職住一体の生活をしていた頃、絹織物を広げて客に見せていた場所です。
高度な技術と計算で織られた立体的で上品な美しさは、見る角度や光で表情を変え、息を呑むような魅惑の世界に誘ってくれます。二種類あるソファーの一つは水中で溶け合う動きを黒と金で表現しています。もう一種類は赤の重なりにより生じる影の深みをグラデーションで表現しています。
伝統文様と現代の職人の感性を合わせて、馴染むをテーマにして洗練させています。艶やかな上品さに心の浮立つものを感じられます。二種類あるソファーの一つは粋をテーマにして、伝統文様を金銀糸を使いながら軽やかに洗練させており、二つ目は人と人の結ばれる感覚を色と技術により立体的ににじみとして表現しています。
和室 掘り炬燵席 和絵具で描かれた四季の襖 春の部屋
2階の奥まった場所にありますので静かに過ごして頂けます。土壁風に仕立てられた三面の壁、その内一面には腰窓があり桝組障子を配し、出入口は吹き寄せ障子にて柔らかに視界を遮っています。天井には巨木の梁が通っており、100年の時を経た京町屋建築の力強い息吹を感じていただけます。
隣室との戸襖は文様の抽象性と和絵具で描かれた柔らかなにじみを、黒漆の桟と框で引き締めています。温かみのある面を枠で囲った落ち着いた印象の部屋です。
日本旅行の佳き日に、最もおすすめしているのがこちら。
足元ゆったりとお座りいただけるので、長時間でもお寛ぎいただけます。窓から坪庭が眺められる特等席。お昼はお店を貸切とすることが多いため、周りを気にせずにお過ごしいただけます。
大正のレトロモダンな趣を随所に残しています。一階の坪庭には“山があり池があり水が流れ樹木が繁る” そんな日本の自然を写した景色があります。坪庭はかつての呉服商の居住空間、「奥の間」と呼ばれた部屋に面しています。
かつての呉服商が仕事を終えて寛いだ部屋で、日々の喧騒を忘れ、癒やしのひと時をお過ごしいただけます。
古くから伝わる日本語では、この庭を坪庭と呼んでいます。坪庭の坪は面積を表す昔の単位であり、今の単位では約33.058㎡に相当します。これは畳2枚分の広さです。ですので、元来、坪庭はとても小さな庭です。
当店の坪庭はそのような一般的な坪庭よりやや広いものになります。100年の昔、この町家を建てた人が何を思い、坪庭を広くしたのか。それは分かりかねますが、少なくとも広くなった分だけ多くの樹木が植えられてきたことでしょう。
それらの樹木の成長にめくりめく季節と移り行く人の世を重ね、見詰め続けてきたのではないかと感じています。
お手洗いは男女別で1階と2階にあり、計4つあります。
一階の女性用のお手洗いは元はお風呂場です。男性用は元からお手洗いの場所でした。共に、母屋からは離れた建物であり、これを離れと呼んでいます。
2階のお手洗いは男女ともに元は階段があった場所です。この階段は一階の居間と2階の居間を繋ぐ住居用の階段であり、2階へ上がると窓から坪庭を眺められるようになっていました。
因みに、今使っている階段は作り直したものですが、この階段は一階の店の間と2階の物置を繋ぐ階段であり、仕事用の階段でした。
どのお手洗いも建築や内装に歴史を感じられます。
*こちらに記載されている食材情報等は代表的なもので、他にも使用されている食材がある場合もございます。また、季節や食材の入荷状況によりメニューや品数が変更になる場合がございますので、ご注意ください。
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*実際の価格と異なっている場合があります。
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